ウーマン中川パラダイスが「村本はもう帰ってこなくていい」と語る理由。コンビ活動が無くなり一時は月収3万円台に。
ウーマンラッシュアワーの誕生と成長
ウーマンラッシュアワーは、2013年に漫才師ナンバー1を決める『THE MANZAI』で優勝し、一躍人気コンビとなりました。ボケ担当の村本大輔とツッコミ担当の中川パラダイスは、瞬く間に多くのファンを獲得しました。しかし、2017年頃から社会風刺ネタを披露するようになり、テレビ出演が激減。村本が海外でスタンダップコメディに挑戦することを表明し、コンビとしての活動は減少していきました。
村本のスタンスに対する中川の気持ちはどうなのでしょうか?
中川の芸人としての始まり
芸人の道へ進むきっかけ
中川パラダイスは、高校の文化祭での漫才がきっかけで芸人を目指しました。その時、彼はなだぎ武さんが組んでいたコンビ「スミス夫人」のネタを模倣して笑いを取った経験から、芸人としてのキャリアのスタートを決意しました。
NSCでの試練
NSC(吉本興業の養成所)に入った後、中川は舞台に立つ機会を得るも、最初のコンビはすぐに解散。その後の数年間は、さまざまな形態のコンビやトリオに挑戦し続けました。
年代 | 活動内容 |
---|---|
2010年 | NSC入学 |
2012年 | コンビ解散、ピン芸人 |
2013年 | ウーマンラッシュアワー結成 |
村本との出会いとコンビ結成
中川は地下ライブで村本と出会いました。村本は相方が変わることが多く、奇妙な印象を持たれていました。しかし、そのタイミングで中川がピン芸人として活動を開始し、村本からの声かけに二つ返事で応じ、ウーマンラッシュアワーが結成されました。
漫才師としての成功と苦悩
早すぎた成功
ウーマンラッシュアワーは、結成5年で『THE MANZAI』で優勝を果たしました。中川はこの快挙について、「早すぎた」と感じたと語ります。彼は、実績を持たないままメディアに進出したことに不安を覚えていました。
テレビでの活動と焦り
優勝後は多くの人気番組に出演しましたが、中川はトークのストックが無くなることに焦りを感じていました。彼は、村本が「嫌なことを言うキャラ」を確立して成功していくのを見て、自分との違いに悩みます。
社会風刺ネタへの転向
村本の変化
村本は、社会問題に敏感になり始め、「ABEMA Prime」に出演したことで、ニュースを学ぶようになりました。特に福井県出身の彼にとって、地元の原発問題は身近なテーマであり、これが社会風刺ネタへの転向に繋がったと中川は分析しています。
受け入れられた風刺ネタ
村本の新しいスタイルには賛否がありましたが、特に『THE MANZAI マスターズ』での反響は大きく、中川は次第に「受け入れられた」という感覚を持つようになりました。
コンビ活動の減少と収入の変化
村本の海外志向が強まる中、コンビ活動は減少し、収入面でも厳しい状況に陥ります。一時は月収3万円程度まで落ち込みましたが、中川はSNSを利用して新たな試みを行いました。
SNSでの挑戦
中川は「3000円以上で何でもやります」というプロジェクトを立ち上げて一般の人と交流し、エピソードを増やす機会を得ました。これは楽しい経験であり、貴重な人脈も形成したと述べています。
収入状況 | 月収 |
---|---|
初期の危機 | 3万円台 |
SNS企画後 | 増加傾向 |
村本への本音
中川は、村本に振り回される部分はあったものの、特に怒りは感じていないとのこと。ただし、芸人を辞めると言い出したら「無責任」と思うかもしれません。村本が言葉の通じない国で挑戦することには尊敬の念を抱いており、応援する気持ちが強いと述べています。
村本には帰ってきてほしくない?
最後に中川は、「村本はもう帰ってこなくていい」と明言します。彼は、村本がアメリカで成功することを望んでおり、帰国は何かしらの失敗を意味すると考えています。
よくある質問 (FAQ)
Q1: ウーマンラッシュアワーはいつ結成されましたか?
A1: ウーマンラッシュアワーは2013年に結成されました。
Q2: 村本の現在の活動は?
A2: 村本はアメリカでスタンダップコメディを行うために活動中です。
Q3: 中川パラダイスは現在何をしていますか?
A3: 中川はMCやピン芸人としての活動、さらには飲食業など多様な仕事をしています。
Q4: 中川は村本をどう思っていますか?
A4: 中川は村本の挑戦を応援しつつも、彼が帰国することには否定的な考えを持っています。