吉永小百合(79)の夫で、元共同テレビジョン会長の岡田太郎(おかだ・たろう)さんが3日、胆のうがんのため都内の病院で死去した。94歳。東京都出身。家族葬を済ませての発表となった。吉永の両親の反対を押し切って1973年8月に吉永と結婚して以来、半世紀以上にわたって仲睦まじい夫婦生活を送った。
岡田さんは、1959年にフジテレビに入社し、その後数々の人気ドラマを手がけた。彼のキャリアや夫婦の絆について、別の視点から掘り下げてみましょう。
岡田太郎のキャリアと業績
岡田さんは、文化放送を経て1959年にフジテレビに入社。プロデューサー、ディレクターとして手腕を発揮し、独自の演出手法で「アップの太郎」と呼ばれるようになりました。以下は、彼が手がけた代表的な作品です。
年代 | 作品名 | 役割 |
---|---|---|
1970年代 | 日日の背信 | プロデューサー |
1980年代 | 時代劇スペシャル | ディレクター |
1990年代 | 君が嘘をついた | 制作総指揮 |
また、岡田さんは共同テレビに移ってから社長、会長、取締役相談役などを歴任。彼の指導のもと、多くのひとに愛される番組が製作されました。
吉永小百合との出会い
吉永さんと岡田さんの出会いは、映画「愛と死をみつめて」の公開直後に制作されたドキュメンタリーです。この番組の製作中、岡田さんが19歳の吉永さんのヨーロッパ旅行に約1カ月同行し、二人の距離が縮まりました。その後、岡田さんが吉永さんに対して支えとなったエピソードは、彼らの愛が深まるきっかけとなりました。
年 | 出会いの出来事 |
---|---|
1960 | 映画「愛と死をみつめて」公開 |
1961 | ヨーロッパ旅行に同行 |
1973 | 結婚 |
参考動画
恋愛の障害と絆
岡田さんと吉永さんの結婚は大きな話題となったが、特に吉永の両親は猛反対していました。しかし、彼らは結婚へと突き進み、1973年6月28日に婚姻届を提出し、同年8月3日に挙式を行いました。この際、岡田さんのフジテレビの同期である歌手の畠山みどりの夫の豪邸を借りて愛を誓い、その後は東京・新宿の京王プラザホテルで披露宴を開きました。
吉永さんの両親は当初姿を見せず、二人の愛の強さが感じられるエピソードです。結婚から50年以上経った今でも、夫婦の絆は揺らぐことがありませんでした。
最期の時と吉永小百合の感謝の言葉
岡田さんは生前、胆のうがんと診断され、化学療法を受けていましたが、最終的には転移もあり、症状が進行してしまいました。9月3日、94歳で永眠する際、喪主を務めた吉永さんは直筆の書面で心情を表し、岡田さんとの思い出を振り返りました。
「夫 岡田太郎は、昨年12月に胆のうがんと診断され、病気に対しては常に前向きでした。しかし、9月3日、94才で永眠いたしました。大往生だと思います」と吉永さんは述べています。
献身的な看病と夫婦の幸せ
岡田さんが90歳を過ぎてからも、吉永さんは献身的に看病を行い、周囲からはその夫婦仲の良さがうらやましがられていました。旅行やゴルフ、クラシックコンサートを共に楽しむ姿は、多くの人々に幸福を与えていました。
アクティビティ | 年 | 備考 |
---|---|---|
旅行 | 90代 | 複数の海外旅行を実施 |
ゴルフ | 90代 | 友人と共に楽しまれた |
コンサート | 90代 | クラシック音楽鑑賞 |
FAQs
岡田太郎さんの葬儀はどのように行われましたか?
岡田さんの葬儀は故人の遺志により家族葬として行われました。吉永小百合さんが喪主を務めました。
吉永小百合さんはどのように岡田太郎さんを支えたのか?
吉永さんは岡田さんが体調を崩した際、献身的に看病を行い、二人三脚で生活を支え合ってきました。
岡田太郎さんが手がけた代表的な作品は何ですか?
岡田さんは「日日の背信」や「時代劇スペシャル」など、多くの名作ドラマを手がけました。
吉永小百合さんと岡田太郎さんはいつ結婚したのですか?
二人は1973年8月3日に結婚しました。吉永さんの両親は当初猛反対していたものの、最終的には彼らの愛が勝った形となりました。
このように、吉永小百合さんと岡田太郎さんの人生は愛と絆に包まれたものです。岡田さんの死去は、多くのファンや周囲の人々にとって、大きな悲しみとなりました。